送り盆の歴史

みなさんに福米沢の伝統的な送り盆をしょうかいします。

 

     送り盆は……

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今からおよそ三百年前、宝永年間(千七百四年~千七百十年)のころ、福米沢の熊野の社を守っていた修験により、精れい送りの供養行事として村人に伝えられたといわれています。

八月十六日の昼すぎ、人々が精れい送りのための五色の如来幡と藁松明を手にぼ地へ向かい始めるころ小学生から若い男の人たちは、女そうのかっこうをしてぼ地に向かいます。

ささら、笛が女そう、おおだいこは、男そうです。音が福米沢全たいにひびいています。

人数(今)は、十六人です。(全いん)16人でぼ地に向かい、かれた草や落葉を集めもやし、周りを音もつけてゆっくり回ります。

 

     昼から夕がたに……

 

夕がたになると、ささら、笛、太いこをならしている女そうの人たちが「はしご」を持っている人たちにぶつかっていきます。

そして、ささら、笛をならす人もならしながら全員ぶつかって行きます。勝ちか負けを決めるときの風景は、いようで心に必ず残る場面です。

わたしの家の前でやっていますが、びっくりするほど力いっぱいにおしてきます。人々は、「はしご」を持った人たちをおうえんします。

このことを「はしどめ」といいます。「はしどめ」が終わると、ドキドキしてしまいます。

他の所でも、「はしどめ」をする所があります。

「はしどめ」は、とてもきけんなので男の大人だけがします。だから、「はしどめ」は、決まっているところでやならければいけないのです。

 

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